竜興之福地,吸晴之熱土
晋陽古城は太原故城として、春秋中末期に建設され、秦、漢、三国南北朝の隋、唐の五代を経て、完成から焼却まで千年余りに渡り、全国の都城遺跡の中で特色がある。周、秦、漢、隋、唐、北
宋はもとより、元、明、清などの王朝の京畿道の要地であり、いずれも山西省の左右に位置していた。歴史上、相前後してまた15人の帝王がここで武功を文治した。ここは名実ともに龍興の地だ。
龍鳳呈祥雄藩巨鎮
明代初期の県城であり、晋陽古城池鳳翔余の建築様式を踏襲している。全体の地形は、頭の北尾の南に羽ばたいて高く飛翔する鳳凰のようなもので、俗にフェニックスと呼ばれている
西は龍山、東は汾河と、古晋陽龍鳳の呈祥の霊気を示し、山に背水し、街中の筋肉を整えた城である。